2006年07月28日

シロニー

「第二次世界大戦では、反日本主義も頂点に達した。欧米諸国は、ドイツ人についてはその行為のみを批判して、ドイツ国民とナチとを明確に区別した。いっぽう日本人については、日本人であること自体が批判され、政府と国民とがほとんど同一視された。ドイツは連合国側と同じ人種に属していたために、人種や文化を根拠に攻撃することがむずかしかった。ところが日本は違った文化、違った人種に属していたために、遺伝や人種による劣等性を指摘して攻撃することが容易だった。アメリカの歴史学者ジョン・ダワーの「容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別」には、アメリカの大衆ヒーローで従軍ジャーナリストのアーニー・パイルの戦地レポートが引用されている。

 ヨーロッパでは、危険で恐ろしくはあっても、敵を人間だと感じていた。しかしここへ来てすぐにわかったことだが、日本人は何か人間以下の不快なものと見られている。まるでゴキブリかどぶネズミを見るような嫌悪感を抱かれている。

(略)戦争中のアメリカ人が日本人について語るイメージは、ドイツ人がユダヤ人に使ったのと同じ、けだもののイメージだった。日本人は人間以下の生物、害虫か類人猿として描かれ、その本質的な残忍さは生物学的に決定されたものである。したがって決して変わることはない、と。そうなれば論理的に言って、解決策は抹殺しかない。アメリカ国内のレストランには「当店はネズミも日本人も駆除します」という看板が掲げられ、海軍大将ウィリアム・ホールジーは有名な「ジャップを殺せ。ジャップを殺せ。一人でも多く殺せ」というモットーで兵士たちを鼓舞した。 こうした反日本主義は究極の結論に至る。日本人は日本人であるがゆえに殺さねばならない。ダワーが示したように、日本人は抹殺するのが望ましいという声は、戦時中のアメリカ政府からさえ聞かれるようになっていた」/strong>

「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」

容赦なき戦争・ジョン・ダワー(著)

シロニー

「日露戦争では多くのユダヤ人がロシア側で戦い死んでいったが、世界のユダヤ人は、大半がロシアの敗北を喜んだ。悪の帝国は過去のユダヤ人への所業の罰を受けたのであり、日本は神の使いとして映った。したがって、一九〇四年九月十六日「ジューイッシュ・ワールド」が、前線での戦死者としてフォン・ラーベル大佐の名を掲載したことは、大きな意味を持っていた。ラーベル大佐は、あのポグロムが起こったときのキシネフ市長の息子だったからである。

ハイファでローレンス・オリファントの秘書をしていたヘブライ語詩人のナフタリ・ヘルツ・インベルは一九〇四年の秋、ニューヨークで「バルコイ第三あるいは血の復讐者」と題する詩集を刊行し、「日本の統治者、睦仁陛下(明治天皇)」への献辞を添えた。詩は美文調のヘブライ語で綴られ、日本の勇気を讃え、ロシアによるユダヤ人への不当な扱いを非難するものである。一部の詩については作者自身による英語版も発表された。ここでは「戦争によせて」という詩から一部を引用しよう。

 汝ら、諸国民に告げ知らせよ、
 イヴァン雷帝は倒れたと。
 キシネフの犯罪は報いられたと
 あらゆる舌よ、知らせを語れ。
 
 かつて彼は我が民の血でその足を洗い、
 幼子たちを殺した。
 今彼は敗北に打ちひしがれ、
 高き山から逃げ去ろうとしている。
 
 我は日の出より鷲を招き。
 信義の人は遠き国より来た。
 我は日本に呼びかけた、イヴァンを打て
 戦闘にて、そして戦いにて叩きつぶせと

ロシアのユダヤ系新聞はさまざまな手段を使って検閲をくぐり抜け、日本の勝利を表現した」


「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」

日露戦争物語―天気晴朗ナレドモ浪高シ (第1巻)・江川 達也(著)

「坂の上の雲」では分からない日本海海戦―なぜ日本はロシアに勝利できたか・ 別宮 暖朗(著)
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2006年07月26日

シロニー

「その平和主義の表れが一九四七年憲法である。日本国憲法の第九条は、国権の発動としての戦争を「永久に」放棄し、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と誓っている。たしかにこの憲法はアメリカから押しつけられたものだったが、戦争放棄の理想をよしとする日本の大衆からは、現在も支持されている。世界でもコスタリカ以外には、国家の権利としての軍事力の維持および交戦権を放棄した国はほかにない。ただし、日本がこれをできたのは、アメリカが防衛の責任を肩代わりしてくれたからではあった」

「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」
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2006年07月23日

シロニー

「帝政ロシアに対するユダヤ人の怒りは、日本への財政支援を生みだした。ユダヤ人資本家が特別の好意から日本への融資を起債するという現象は、一八九四年に始まった。この年、フランスのグードショー銀行の頭取を務め、のちには自ら銀行を設立することになるアルベール・カーンが、同年に勃発した日清戦争を財政的に支援するため、日本向け融資の起債に尽力している。カーンは一八九八年に日本の園芸家を招き、パリ郊外のボローニュにフランス最初の日本式庭園を造らせ、「日本村」と名づけた。また一九〇七年に友好団体を設立し、日本のすぐれた学者を海外に送り出した」

「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」

日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記・田畑 則重(著)

高橋是清伝・高橋 是清(著)

日露戦争物語―天気晴朗ナレドモ浪高シ (第1巻)・江川 達也(著)

「坂の上の雲」では分からない日本海海戦―なぜ日本はロシアに勝利できたか・ 別宮 暖朗(著)
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2006年07月22日

シロニー

「日露戦争が始まると、ロスチャイルド家を含めた欧米のユダヤ人資本家たちは、ロシアへの援助拡大を差し控え、すすんで日本を支援するようになった。日本の敗北を防ぐ決定打となったこの支援を先頭に立ってまとめたのは、アメリカ・ユダヤの指導的人物で、アメリカ最大の投資企業の一つであるクーン=ローブ商会の代表だったジェイコブ・H・シフである。

ロシアによるポグロムに激怒したシフは、ロシアへの融資参加を拒否し、他の企業にも同調するよう説得した。日露戦争開始から二ヵ月後の一九〇四年四月、シフはロンドンでの会食の席で、日本銀行副総裁の高橋是清と出会った。戦争遂行資金を集めるためにアメリカとイギリスへ派遣されていた高橋が、資金確保がむずかしいと話すと、その数日後シフから、クーン=ローブが援助するという知らせが届いた。帝政ロシアを「人類の敵」とみなしていたシフは、自社のみならず、ファースト・ナショナル・バンクとナショナル・シティ・バンクにも掛け合って、アメリカで日本の戦争を起債した。シフの努力もあって、日本はアメリカ市場で二百万ドル近い資金を集めることができたが、これは日本が海外で集めた融資総額の半分近い額である。日本はこの資金で、勝利に必要な戦艦、砲、弾薬を買うことができたのだった」


「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」

日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記・田畑 則重(著)

高橋是清伝・高橋 是清(著)

日露戦争物語―天気晴朗ナレドモ浪高シ (第1巻)・江川 達也(著)

「坂の上の雲」では分からない日本海海戦―なぜ日本はロシアに勝利できたか・ 別宮 暖朗(著)
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シロニー

「また日露戦争は、多くのユダヤ人を戦争捕虜として日本へもたらした。その数は千八百人で、当時日本に在住していたユダヤ人の二倍以上に当る。第二次世界大戦時とは違いこの時の日本は、世界に対して日本が文明国であると印象づけるために、捕虜を適正に扱った。ロシアで少数民族に属する捕虜には特に好意的だったが、これは反ロシア民族運動を励まし、西洋大衆の印象をよくしようという政策の一環だった。一九〇四年十月十七日付「ジューイッシュ・リヴュー」は、アメリカ・ユダヤがワシントンの日本大使館に、ユダヤ人の戦争捕虜を大切に扱うよう要請したことを伝えている。日本大使館は、「最高度の友好的扱い」の対象をユダヤ人捕虜に拡大すると約束した。そして実際にジョセフ・トルンペルドルは、日本国内の捕虜収容所内でユダヤ兵百二十五名からなるシオニストグループを組織し、シオニズムのニュースレターを回覧し、さらにはヘブライ語教室を開くことまで許されたのである。

日本在住のユダヤ人には、ユダヤ人戦争捕虜が宗教的に必要とするものを世話することが許された。長崎郊外にあった収容所では、地元のユダヤ人コミュニティーによって祈祷書や宗教用具が支給された。長崎シナゴークは日本の勝利を神に祈り、また日本赤十字に寄付をした。戦争が終わると、一部のユダヤ人捕虜は日本にとどまり、長崎のユダヤ人コミュニティーに加わった。日本人は、捕虜のなかにいたユダヤ人医師を高く評価していた。一九〇五年九月十五日付「ジューイッシュ・クロニクル」は、ユダヤ人戦争捕虜のエイガー博士が東京帝国大学のある医学協会で名誉会員に選ばれたことを報じている」


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ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

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日露戦争物語―天気晴朗ナレドモ浪高シ (第1巻)・江川 達也(著)

「坂の上の雲」では分からない日本海海戦―なぜ日本はロシアに勝利できたか・ 別宮 暖朗(著)
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シロニー

「神道は、古代近東の多神教以上に他の宗教や神格に対して寛容だ。神道の神々を祭る巨大な神殿は、存命の天皇や故人の霊をいつでも迎えられるようにしてあるが、よそからの新しい神々も容易に受け入れることができる。仏教は六世紀に日本に伝来し、今日でも日本の最大宗教ではあるが、大半の日本人と結びついた固有宗教である神道に取って代わるには至っていない。神道の神々を仏として崇めることもできるし、その逆も可能だ。仏教寺院と神道の神社とが境内、神域を共有していることもある。言葉を換えれば、古い宗教を捨てることなく新しい宗教を受け入れるということであり、これは西洋には存在しない選択肢だった」

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ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

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ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

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仏教・神道・儒教集中講座・井沢 元彦(著)
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2006年07月21日

シロニー

「当時の日本の社会主義者にも、日露戦争をロシアのユダヤ人虐殺と結びつけた者がいる。日本の労働運動の草分けで社会主義活動の片山潜は、一九〇四年に「インターナショナル・リーシャスト・リヴュー」紙に英文記事を発表し、戦争と帝政ロシアの両方に反対すると述べた。

 「わたしはこの戦争に反対である。しかし日本人として、日本が過去にキシネフにおいてユダヤ人をあのように扱ったロシアに負けることを望みはしない」     」


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ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

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ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

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2006年07月17日

シロニー

「日本人はモノマネ民族で独自の思考はできないという考えが西洋にあるが、これは日本人は外国の技術や制度をごく細かいレベルにいたるまで取り込むことが多かったことから来ている。しかし、これは最初の段階についてのみ言えることだ。実際問題として、近代的な技術や制度をあえてオリジナルに開発することなど愚かなことだったろう。当時は西洋の技術や制度がすぐれていて、それがすぐに手に入ったのだから。しかも日本は、西洋から学んだものをすぐに修正、改良するようになり、さまざまな分野で独自の貢献をするようになった」

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シロニー

「近代以前の日本にもかなりの知的自由があった。生け花から武術、哲学にまでいたるほぼすべての文化活動に、さまざまな流派が存在した。流派によって独自の流儀が決まってはいたが、流派間のいがみ合いはほとんどなかった。流派を選ぶのはスポーツや競技を選ぶのと同じで、信念というよりも好みの問題だった。ただし、一度ひとつの流派を選んだら、あとはその流派のやり方にしたがわなければならない。スポーツと同じで、成功するかどうかは、定められた決まりにしたがってどれだけうまくやれるかに懸かっていた。熟達は、厳しい訓練に個人のスタイルが合わさったものだ。

西洋文化を取り入れようと決めたときも、日本はそれまでと同じスポーツマン的なやり方で取り組んだ。以前の種目を捨てることはなかったが、西洋の種目がやりたければそのルールにしたがわなければならない。新しいルールを身につけるには、西洋のやり方を詳細に真似ることが唯一の方法だった。近代日本の業種はすべて、西洋が確立したルールに沿って西洋を凌ぐことによって達成したものだ。したがって、一九〇五年に日本が帝政ロシアを倒したのも、東洋の強国が西洋の強国に勝利したのではなく、むしろ近代化の進んでいた日本が近代化の遅れていたロシアに勝ったというべきなのである」


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「坂の上の雲」では分からない日本海海戦―なぜ日本はロシアに勝利できたか・ 別宮 暖朗(著)
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2006年07月08日

シロニー

「ユダヤ教と神道では、人間の行動に対する態度にも大きな違いがある。ユダヤ教では道徳上の厳格な規則がある。モーセの十戒にある「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない」をはじめとして何百という禁止事項があり、神や仲間の人間に対してどう振るまうべきか、何を食べ、何を着るべきかまで事細かに規定されている。聖書とそこから引き出されるユダヤ教の世界は、正しいことと間違った、すなわち「してよいこと」と「してはいけないこと」とに二分されている。こうした厳格な道徳律は、後にキリスト教やイスラム教にも採用されている。

神道にはこのような厳格な道徳律はない。敬虔な天皇による模範的な行動とその敵対者による不道徳な行為の区別はあるが、これといって特定の禁止事項は設けない。神道では、ときには神々自身が不埒な行いをする。アマテラスオオミノカミの弟スサノオノミコトは荒ぶる神で、森を焼き、収穫物を台無しにし、姉を困らせようと宮殿に排便した。しかし、神道には究極の悪としての「悪魔」は存在しない。気まぐれな神や悪霊や怨霊は、危険だが鎮めることもできる。神道と違って仏教には戒律があるが、一神教と比べればそれほど厳格な道徳性は持っていないし、禁止事項も宗派ごとにばらばらだ。日本は仏教を採用する際に、人間の欲望や弱さと妥協する神道に合わせて、道徳上の要求をも修正したのである。日本における道徳は、宗教上の問題というより社会的なものだし、その発生も、超越的な神の命令によるものではなく、儒教の常識的な禁止事項によるものだ。正しいことと間違ったこととは絶対的な概念ではない。殺人や盗みは、それが社会調和を乱すときには誤りだが、状況が違えば適切な行為と考えられる。日本人にも行動を律する厳格なルールはあるが、その基礎となっているのは神の命令ではなく、社会秩序を維持するうえでの必要性なのである」


「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

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仏教・神道・儒教集中講座・井沢 元彦(著)
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シロニー

「一つの家系による支配が途切れることなく続くというのは、他の国々の歴史経験からはまったくかけ離れている。西洋でも東洋でも、王なり皇帝なりの王朝は一定期間が過ぎれば次々と替わっていくものだ。天皇家の永続性は、日本人の生活のなかに強い継続感と安定感を育ててきた。あるグループから次のグループへと政治権力が移ることはあっても、正統性の源泉はずっと天皇にあった。権力そのものは天皇以外の者-宮廷貴族や軍事支配者-が握っていたが、それが一人の手に集中することはほとんどなかった。それでは天皇の象徴的な権威を侵すことになるからだ。また逆に、分権化が行きすぎることもなかった。権力はさまざまな政府官僚や地方豪族の間で分散するのがふつうだったが、だからといって日本を分割していくつかの独立国家群にしてしまったのでは、やはり天皇の地位を侵すことになっただろう。このように天皇制は、一人の人間による独裁支配と全面的な政治分裂の両方から日本を救ったのである」

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ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

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ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

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シロニー

「日本には厳しい道徳性を持った宗教はなかったし、トラウマとなるような迫害を受けた経験もなかった。にもかかわらず、社会調和という儒教的理想と自己犠牲という武士の理想によって、日本人は近代の理想主義的大義を受容した。屈辱から国を救うという理想が動機となって、十九世紀の日本人は自己本位の地域的、階級的な利害を捨て、共通の利益をとった。明治維新から十年で、長い封建時代を通して守られてきた地域自治権(藩制)も、代々認められてきた階級の区別も放棄され、二度と蘇ることはなかった。おそらく日本ほど速やかに、しかもほとんど流血なしに地域主義と階級特権を放棄した国は他にないだろう」

「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

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ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

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シロニー

「ユダヤ人と日本人がよそ者扱いされた最大の理由は、彼らがヨーロッパ人とは違う、劣等人種に属すると考えられたからだった。人種差別主義は十九世紀に一般化し、一見すると科学的、生物学的な事実がその根拠とされた。当時の人種差別主義の考えにしたがえば、西洋文明はアーリア人種による業績であり、アーリア人は他のあらゆる人種よりすぐれていた。セム族や東洋人種が西洋世界に入ってアーリア人と競い合い、伝統的に白人種のために確保されてきた諸分野でこれを凌駕していこうなどということは、西洋文明を危険に陥れるものとみなされた。

成功したよそ者への憎悪は、内的圧力の恰好のはけ口だった。産業革命によってヨーロッパ各地で大きな社会変動が起こり、さまざまな不満と緊張が生みだされたが、共通の敵を憎むことは、そうした社会的変化によってもたらされる心理的ストレスを抑えるうえで、きわめて効果的な方法だった。民族主義と人種差別主義は、容易に見分けられるスケープゴートにそうした不満を向けることで、内的な結束を強化するための有力なイデオロギーだった。その対象とされたのがユダヤ人であり、東洋人種だったのである。反ユダヤ主義はユダヤ人が生まれたときから存在し、宗教的にも社会的にも根深いものだ。それは、キリスト教やイスラム教という体制派宗教を受け入れない頑固な少数民族に対する嫌悪として発達してきた。いっぽう反日本主義は近代的な現象であり、日本が力をつけていくことへの懸念から発生したものである。

だがこの二つの動きには、共通する重要な特徴がいくつもある。どちらも、この両民族の進出を災厄の前兆ととらえて警鐘を鳴らす、という立場をとる。またどちらも、さまざまな方法で対象民族を悪者に仕立てる。すなわち成功を誇張し、それを邪悪な動機のせいにし、陰謀を想像し、道徳的な「われわれ」と不道徳な「彼ら」というイメージで、白と黒とにはっきりと線引きするのである。そして、どちらも過度に単純な説明しかせず、どちらもスケープゴートを探す」


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ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

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ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

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2006年07月05日

シロニー

「一九三六年の来日直後、ローゼンストックは新聞記者たちに、ナチの文化政策のためにドイツ音楽の水準が下がりつつあると発言した。ドイツ大使館はただちにこれに抗議し、ユダヤ人に日本の公的音楽機関で指揮、演奏、教育をさせないように要請した。これに対する日本の外務省の回答を、ドイツ大使館がベルリンへ送った報告から引用しよう。

 ユダヤ人に対する日本の公式姿勢がドイツの公式の立場とまったく違うこと、また日本にはユダヤ人難民に同情するグループさえいることは周知のことである。わが国政府としては、ユダヤ人に対する人種差別を支持するか、また彼らの立場を奪うと解されるようなことは一切できない」


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ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

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ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

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2006年07月01日

シロニー

「一九三〇年代後半になると、中央ヨーロッパを脱出するユダヤ人難民が急増した。その一部は東アジアへと向かったので、日本はその支配地域に彼らを受け入れるかどうかの決断を迫られた。中国との戦争によって海外で不評を買っていた日本は、ユダヤ人を厚遇すればアメリカの印象が改善すると考えた。そこで一九三八年十二月六日、日本政府のトップである近衛文麿首相、有田八郎外相、板垣征四郎陸相、米内光政海相、池田成彬蔵相兼商工相によると、日本の領域に入ることを望む者は、資本家や知的専門職であればこれを認めることを決定した。 

この方針の実施は、満州では、関東軍特務機関長の樋口季一郎と、関東軍におけるユダヤ人専門家、安江仙弘の手に委ねられた。樋口と安江はユダヤ人難民数千人の満州移住を許可した。これを受けてハルビンのユダヤ人コミュニティーは、二人の名をエルサレムにあるユダヤ民族基金のゴールデン・ブックに記載した。駐日ドイツ大使ユーゲント・オットーは樋口と安江のこの行為について抗議したが、日本政府はこれを黙殺した」


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ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

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ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

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陸軍中将樋口季一郎回想録・樋口 季一郎(著)
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