2006年08月31日

ぺリン

「文芸にたいする関心も高いものがあった。武士階級の者は、戦場を駆けめぐる合間には、典籍に親しむのが当たり前のこととされていた。一五八八年、時の日本の軍事統率者・豊臣秀吉は、聚楽第で和歌御会を催している」

「経歴」

ノエル・ぺリン(アメリカ・1927年〜)

「参考書籍」

鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮・ノエル ペリン(著)

「関連書籍」
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2006年08月30日

ぺリン

「日本は原料生産国であったばかりではない。今日もそうだが、日本は当時もすぐれた工業国であった。イエズス会の一宣教師は、当時、日本には紙の種類がヨーロッパの十倍はあろうと推定している。日本の紙の中には今日使うクリネックス、つまり、ちり紙やはな紙もあった。アメリカ人は今でこそ自分たちがこの便利な品物の発明者だと考えているだろう。だが、それよりも少なくとも三世紀前に、日本人はこれをつくっていた。それどころか輸出さえしていた。一六三七年、ピーター・マンディなるイギリス人がたまたま中国の沿岸マカオにいた。その地で彼は、大坂商人の一行がはな紙を使っているのを見てはなはだ感心したのであった。

マンディは、そのときの模様を後に次のように記している。「この都市で数人の日本人を見かけた。彼らは何やら柔かく丈夫そうな紙を小さく折り畳んで所持しており、これで鼻をかむ。鼻をかんだあとどうするかというと、もうその紙は汚いものという体で捨ててしまう。顔を拭うには日本人はリネンのハンカチーフを持っていた」。マンディが感心したのは無理もない。当時のイギリスでは、たいていの人は服の袖で鼻をかんでいたのだから」


「経歴」

ノエル・ぺリン(アメリカ・1927年〜)

「参考書籍」

鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮・ノエル ペリン(著)

「関連書籍」
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2006年08月29日

金美齢

「今、リーダーの器ということを言われましたが、私は器伝々という前に、自分の国や国に住んでいる国民を愛しているかどうかが、リーダー像にとって大切な条件になると思います。いくら器が大きくても、自分の住んでいる国、自分の所属している国、そして同胞-、これらを愛していない人はリーダーとしての資格はありません。そういう意味からいえば、李登輝さんは国も国民も愛している両方の条件を持っている人です。 

 その点、今の日本の政治家からは、「自分の国を愛そう」というような生きた言葉が聞こえてきません。正直な話、ほとんどが政治家という置物になっています。つまり、器からいえば、どんどんその器が小さくなっていますね。

 アメリカ大統領が、「私はアメリカを愛する」と言わなかったら、選挙ですぐに落選ですよ。誰がそんな人に投票しますか。日本だけです、こんな不思議な現象は-。日本人が自分の国を愛するということを言えなくなってきたのは、いつ頃かわかりませんけれども、それを是正してこなかった国民自体に問題がありますね」


「経歴」

金美齢(台湾)

「参考書籍」

真の独立国家への提言 政治家は国のために死ね!―国民と国益を無視した政治・行政の大罪・清水 信次(著)

「関連書籍」

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2006年08月28日

孫文

「アジア人とヨーロッパ人とを比べるのに、以前は世界で優秀なのは白人だけだと考え、何事も白人独占となっていた。われわれアジア人は、白人にはおよびがたきものと諦め、中国人だけでなく、アジアのすべての民族が、絶望していた。 そこへ日本人が忽然としておこり、世界の一等国となったのを見て、アジア民族に、無限の希望が輝き始めた。白人のやることは日本人にもやれた。皮膚の色の違いは、知力や才能の優劣とは関係ない。そういうことが、わかったのだ」

「経歴」

孫文(シナ)

「参考書籍」

新・歴史の真実―混迷する世界の救世主ニッポン・前野 徹(著)

「関連書籍」

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2006年08月27日

クルチツキー

「私は皆の心にとても深い印象を残した「マツモト」という日本人について述べたい。 1954年モスクワから彼の捕虜生活の終わりを告げる知らせが届いた時、彼は初めて私たちに自分のことを話し出した。彼は満州の知事の指名によって高い地位についた。彼は電気技師であり、また法律の博士号も持っていた。彼の捕虜生活最後の日に収容所当局は彼に所持品(時計、家族の写真、いろいろな証書類、靴、洋服)を返した。彼はその時初めて妻や子供そして両親の写真を皆に披露した。一番興味深かった写真は彼の着物姿であった。彼はインテリで高い教養の持ち主であり、人間関係が上手な人だった。捕虜生活の間にすてきな思い出をたくさん残してくれた「マツモト」さんと別れることは非常に辛かった。もし日本でまだお元気でいらっしゃるなら、彼と彼の家族にぜひよろしくと伝えて欲しい。またぜひ元気で長生きしていただきたい」


「経歴」

イヴァン・クルチツキー(ウクライナ)

「参考書籍」

「関連書籍」

もうひとつの抑留―ウズベキスタンの日本人捕虜・藤野 達善(著)

シベリア強制抑留の実態―日ソ両国資料からの検証・阿部 軍治(著)

「参考HP」

ウクライナ人捕虜から見た日本人捕虜

http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~abe/jaus8.html
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クルティアック

「私は強制収容所で日本人と出会ったことを証言する。1950年から1951年にモルドバの第7収容所に収容されていた。この収容所にはたくさんの日本人捕虜がいた。彼らの一人「タキ」氏は私と同じ班で働いていた。私たちはラジオを製作する工場で働いた。彼は日本軍の将校だった。とても教養高く、正直で、そして非常に思いやりがある人間であった」


「経歴」

イヴァン・クルティアック(ウクライナ)

「参考書籍」

「関連書籍」

もうひとつの抑留―ウズベキスタンの日本人捕虜・藤野 達善(著)

シベリア強制抑留の実態―日ソ両国資料からの検証・阿部 軍治(著)

「参考HP」

ウクライナ人捕虜から見た日本人捕虜

http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~abe/jaus8.html
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ウィポブィ

「クラスノヤルスクにあった中間集結地収容所での体験が一番悲惨なものであった。私たちはバラックに収容された。そのバラックには蚤やシラミが大量に発生しており、何日間にもわたり、まったく眠ることができなかった。2〜3日後、同じ所に20〜25人の日本人捕虜が輸送されてきた。日本人を見たのはこれが初めてだった。彼らはほとんど皆、金歯があった。この日からものすごい苦痛の叫び声を毎晩聞くようになった。ソ連兵たちが日本人を殴りつけた上、金に換えるために金歯を折って取り出していたのだということが後になって分かった。この行為は暗闇の中で行われた。金歯を抜き取った後にソ連兵は電気を点灯した。赤い共産党サディストの拷問を受けた血だらけの日本人が私たちの目に入った」

「経歴」

ウィポブィ(ウクライナ)

「参考書籍」

「関連書籍」

もうひとつの抑留―ウズベキスタンの日本人捕虜・藤野 達善(著)

シベリア強制抑留の実態―日ソ両国資料からの検証・阿部 軍治(著)

「参考HP」

ウクライナ人捕虜から見た日本人捕虜

http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~abe/jaus8.html

ザクレフスキー

「1948年の6月に私はイルクーツク州のタイシェット市に輸送された。ここで再び日本人と出会った。彼らは歌を歌いながら、作業大隊で工場に向かっていた。しかし、ここでは、彼らと話すことはできなかった。同年の11月に私は再びタイシェットから110キロ離れたブラーツク方面の収容所に輸送された。この収容所には100名の日本軍将校が収容されていた。その途中にも、鉄道建設のために3〜4キロおきに日本人収容所があった。私が収容されていた処は刑務所も兼ねていた。窓には鉄格子があり、昼間でも真夜中でも点呼が行われていた。韓国人やドイツ人もおり、私たちはここから鉄道建設のために作業大隊で強制的に連れて行かれた。ここでは一日に2〜3人の捕虜がまるで野ウサギのように射殺されていた。死体は頭を金槌で割られ、埋める前に掘った穴の中でもう一度機関銃で撃たれた。そして墓地は有刺鉄線で囲まれており、見張り台でソ連兵が監視していた。自分のバラックには仲良くしてくれた日本人「トコシト」がいた」


「経歴」

ヴァシリ・ミハイロヴィチ・ザクレフスキー(ウクライナ)

「参考書籍」

「関連書籍」

もうひとつの抑留―ウズベキスタンの日本人捕虜・藤野 達善(著)

シベリア強制抑留の実態―日ソ両国資料からの検証・阿部 軍治(著)

「参考HP」

ウクライナ人捕虜から見た日本人捕虜

http://www.mii.kurume-u.ac.jp/~abe/jaus8.html

2006年08月25日

ロジャーズ

「これらの住民は火器の使用についてはほとんど知らないように見受けられました。住民のなかでも特に有識者とおぼしき人物が鉄砲について仲間に知識のあるところを披露したのですが、それを聞いていた部下の一士官が鉄砲を意味する日本語を聞きとりました。アメリカ人にとっては子供の時分から銃をとるのを見慣れているだけに、まったく驚くほかなかったのは、武器についての住民の無知ぶりが例のないものであったことです。それは未開人特有の天真爛漫さと理想郷に住む人々の無邪気ぶりとを示すものでした。わたしどもはこれを乱したくないと考えました」

「経歴」

ジェン・ロジャーズ(アメリカ)

「参考書籍」

鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮・ノエル ペリン(著)

「関連書籍」
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2006年08月24日

ぺリン

「日本はその昔、歴史にのこる未曾有のことをやってのけました。ほぼ四百年ほど前に日本は、火器に対する探求と開発とを途中でやめ、徳川時代という世界の他の主導国がかつて経験したことのない長期にわたる平和な時代を築きあげたのです。わたしの知るかぎり、その経緯はテクノロジーの歴史において特異な位置を占めています。人類はいま核兵器をコントロールしようと努力しているのですから、日本の示してくれた歴史的実験は、これを励みとして全世界が見習うべき模範たるものです」

「経歴」

ノエル・ぺリン(アメリカ・1927年〜)

「参考書籍」

鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮・ノエル ペリン(著)

「関連書籍」
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2006年08月23日

ネール

「小さな日本が、大きなロシアに打ち勝ったことは、インドに深い印象を刻みつけた。日本が最も強大なヨーロッパの一国に対して勝つことができるならば、どうしてそれが、インドにできないことがあろうか。長い間、インド人はイギリス人に対する劣等感にとらわれていた。イギリス人の長い間の支配や、一八五七年の反乱の野蛮な弾圧が、それを養ったのだ。兵器法によって、インド人は武装を禁じられていた。彼らに与えられた教育までもが、彼らに劣等感を与えた。そしてヨーロッパ人の支配を受けるべきものだと思い込んでいた。それゆえ、日本の勝利は、アジアにとって、偉大な救いであった。そしてインドでは、われわれが長くとらわれていた劣等感を、取り除いてくれたのである」

「経歴」

パンディト・ジャワ−ハルラール・ネール(インド・インド首相・1889年11月14日 - 1964年5月27日)

「参考書籍」


「関連書籍」

父が子に語る世界歴史〈8〉新たな戦争の地鳴り・ジャワーハルラール ネール(著)
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2006年08月19日

ラモス

国を背負うことの重さ

「日の丸-。最高だ。こんなに美しい国旗、他にないよ。どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。ほんと不思議。これまで何度もそんなことがあったね。

ユニフォームの日の丸。スタンドで揺れる日の丸。日の丸が目に入ると、こんなところで諦めていいのかって、また闘志が湧いてくるんだ。

日の丸つけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、日本の選手の中にはそうじゃないヤツもいる。不思議でしょうがないよ。日の丸をつけるって、国を代表するってことだよ。選ばれた選手にしか与えられないものじゃない。国を代表して戦うって、スゴイことなんだよ。それを忘れているんじゃないかって思う。

ワールドカップを見てみろよ。みんなあんなに必死になって戦うのは、国の代表だからだろ。国を愛し、家族を愛し、仲間を愛してるいるからだろ。日本はそんなとこから外国に負けてる。自分のためだって?そんなの当たり前じゃない。じゃあなぜ、もっと大きいものを背負わないの?

オレ、日の丸背負ってなかったら、あんなに頑張れなかったよ。ドーハの時、オレは36歳。あのクソ暑い中で、そんなオジサンが全試合、それもほとんどフル出場。練習だって若いヤツらと同じメニューをこなしてたんだ。自分のためだけだったら、とっくに辞めてたよ。

だいたい、最近の若いヤツは親孝行しないでしょ。おじいちゃんやおばあちゃん、お父さん、お母さん、なんで大切にしないの?そういうところ、今の若いヤツら、全然ダメだね。自分より重いものを背負おうとしないんだ。

サッカーでもそう。仲間を大切にしない。相手を思いやる気持ちがないから、自分の力以上のものが出ない。

サッカーで世界を目指す気持ち、家族や仲間を大切にする気持ち、どこかで通じ合っていると思う。膝が爆発しそうでも、いざという時には思いっきり走れた。そういうパワーや運を、誰がくれたの?自分の力だけじゃない。おじいちゃんやおばあちゃん、ママや死んだオヤジ、奥さんや子供たち、サポーターも、みんながオレを守ってくれていたからだよ。

ケガしたりいろいろ大変だったときオレ、考えた。家族のこと、ファン、仲間、そして日の丸のことも。やらなきゃ-。自然にそう思えてきたよ」


「経歴」

ラモス 瑠偉(ブラジル・1957年2月9日〜・1989年11月日本へ帰化)

「参考書籍」

ラモスの黙示録・ラモス 瑠偉(著)

「関連書籍」

「日の丸」「ヒノマル」―国旗の正しい理解のために・ 三浦 朱門(著)

「関連HP」

ラモス 瑠偉公式サイト

http://www.sunget.co.jp/ramos/index2.html
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溥儀

「甲子の年の旧暦十月、北府を去った私は日本公使館に亡命した。そのさい、私を災厄から救うために中心となって尽力してくれたのは、わが師である荘士敦であった。そればかりでなく、最初に私の代理として日本行使芳沢と会見したのも彼である。芳沢は私を丁重にうけいれ、野蛮な軍隊から逃れるため、亡命先として公使館を使用することを認めてくれたのであった」

「経歴」

愛新覚羅溥儀(清・1906〜1967・第12代清朝皇帝・満州国皇帝)

「参考書籍」



「関連書籍」

紫禁城の黄昏―完訳 (上)・中山 理(著)

2006年08月17日

マニエル

「日本の野球は基本に優れている。キャッチボール一つとっても、しっかりしていて、ひとつひとつのプレーには、その基本が生きている。日本の選手は勝つための正しいゲーム運びをする。個々の力より、チーム一丸となって勝利に向かうための方法論をもっている」


「経歴」

チャリー・マニエル(アメリカ)

「参考書籍」

USAトゥデー

「関連書籍」
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2006年08月15日

エッカート

「彼ら(韓国人)の研究の多くは現実に目を背けたものだ。まず日本が朝鮮を植民地化したことを非難し、次には植民地の開発が朝鮮のためでなく、日本の国益のためだった点を非難する。しかし、彼らの研究においては、論理よりも日本の行為を弾劾することで得られる感情的満足の方が重要視されているようだ」

「経歴」

カーター・J・エッカート(アメリカ)

「参考書籍」

日本帝国の申し子—高敞の金一族と韓国資本主義の植民地起源 1876-1945・カーター・J・エッカート(著)

「関連書籍」

韓国は日本人がつくった―朝鮮総督府の隠された真実・ 黄 文雄(著)
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シロニー

「アインシュタインをはじめとするユダヤ人科学者たちは、この超兵器をナチ・ドイツに対して使うことを頭においていたのであって、日本への投下を考えていたのではなかった。たしかにヒトラーの同盟国ではあったが、日本は人種差別的なイデオロギーを広めることもしなければ大量虐殺もしていなかった。それどころか、ヒトラーから逃れてきたユダヤ人を助けてさえいた。日本は通常の敵であって、通常の手段で戦い、打ち負かすべき相手だと考えられていた。したがって、原子爆弾の開発に関わった科学者たちは、ドイツは通常手段で倒せるので代わりに日本に原爆が投下されると知って、大きなショックを受けた」

「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」

原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀・鳥居 民(著)

アインシュタイン150の言葉・ジェリー メイヤー(著)

シロニー

「日本人にとっての学習はユダヤ人の場合のような宗教上の務めとはならなかったが、その地位は非常に高かった。武士の行いについて定めた一六一五年の武家諸法度で徳川家康は、学問研究(文)と武術の鍛錬(武)とを武士の最重要義務とし、しかも文を武の上においた。徳川の歴代将軍や大名の大半が、儒者と呼ばれる顧問をおき、古典教育を監督させるとともに、公式の通信や発行物の処理に当たらせた。徳川時代の日本では、多種多様な学校が花盛りだった。武家の男児はほぼ全員が幕府ないし藩が運営する学校に入って中国の古典を学び、庶民も、男児の約半数が寺の経営する学校(寺子屋)に通って読み書きを学んだ。これ以外にも多くの私塾があり、古典から蘭学まで、さまざまな分野の知識を得ることができた」

「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」

近世武家社会と諸法度・進士 慶幹(著)

日本人をつくった教育―寺子屋・私塾・藩校・沖田 行司(著)
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シロニー

「日本の真意が試される機会はすぐにやってきた。ドイツ、ポーランド、リトアニアを脱出したユダヤ難民三万人が、日本を通過して上海の日本人租界へ逃げ込もうとやってきたのである。

当時、ユダヤ人難民を進んで受け入れる国はほとんどなかった。イギリスはパレスティナの門を閉ざし、英連邦やラテンアメリカ諸国は難民受け入れに消極的で、アメリカは相変わらず東ヨーロッパからの移民を厳しく制限していた。しかし、ユダヤ人の歴史におけるこの重要なときに一民族絶滅の危機が数百万人の頭をよぎったこのときにかかわらず、また国内で反ユダヤ主義が人気を博していたにもかかわらず、である。その動機はユダヤ人から利益を得るためであり、強大だと言われるそのパワーを帝国の大儀に結びつけるためだった。そしてその目的は達成されなかった。難民の大半は貧しく力もなく、大した助けにはならなかった。しかし日本は方針を変えず、ドイツからの圧力に抵抗した」


「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」
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2006年08月11日

シロニー

「アメリカに移民してきた日本人は新たなアイデンティティーを身につけた。かつて武士がそれまでの君主から別の君主へと奉公先を替えたように、移民たちも、それまでの母国から新しい国へと帰属と忠誠の対象を移したのである。移民の第一世代たちはそれでも日本語を話し、日本文化とのつながりを維持し、仏教儀式を尊守した。だが第二世代になると、言語や文化的遺産や宗教にはほとんど関心がなく、完全にアメリカ人になろうとする者が大半になった。日本文化は日本の国土と強く結びついたものなので、いったん外国へ出ると、ふつうは一世代ももたない。日本人は決して日本人をやめないという誤った人種観念があるが、実際の日系アメリカ人は、あっさりと故国への愛着を捨てた。

このことはユダヤ人の経験とは対照的だ。これは重要な点だが、日本人を先祖に持つアメリカ人は自分たちのことを日系アメリカ人と呼び、アメリカに住むユダヤ人は自分たちのことをアメリカのユダヤ人と言っている。日本人と違い、ユダヤ人は自分たちの母国からやってきたわけではない。二千年近い異境生活を通して、きわめて多様な環境下で文化的アイデンティティーを維持することを学んできている。アメリカへやってきたと言っても、ひどい異境生活がずっとましな異境生活に変わったにすぎない。もちろん彼らは忠実なアメリカ人であり、自分たちの新しい国を誇りとしているのだが、そのことはユダヤ人としての誇りや忠誠心を維持する妨げとはならなかった。アメリカへの移民によってユダヤ的生活が中断されることもなかった。それどころか、移民後にわずかな修正期間をおいただけで、近代以降の民族離散では類を見ないほど豊かなユダヤ的生活が送れるようになった。日本への忠誠を放棄した日系アメリカ人と違い、アメリカ・ユダヤは、のちに建国されたイスラエルを熱心に支持するようになった。アメリカ・ユダヤにはイスラエルのためのロビー団体があるが、今日の日系アメリカ人が、合衆国内に日本のためのロビー団体を設立するなど想像もできない」

「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」

ヤマト魂―アメリカ・日系二世自由への戦い・渡辺 正清 (著)
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シロニー

「日本は、大国の一つとされているにもかかわらずその扱いを受けていないと感じるようになった。日本がとくに憤慨したことは二つあった。すなわち一九一九年にパリ講和会議に集まった欧米列強が、国際連盟は人種平等の原則を認めよという日本の提案を拒絶したことと、一九二二年にイギリスがアメリカとの関係改善のために、二十年続いた日英同盟を一方的に破棄してきたことである。この二つの屈辱を、日本は決して忘れなかった」

「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」
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