2012年11月05日

呉善花

「本格的な茶室を内側から初めて体験しながら、仕組みの一つひとつの説明に耳をこらす。「窓の数は人間の窓の数と同じです」とA教授。目二つ、耳二つ、鼻二つ、口ひとつ、心ひとつ・・・・・。「なるほどそうか」と、内部への旅の見立てを思い、それぞれの窓に目をやる。と、案内の女性が「太陽光線の加減や雲の状態で、外の庭から障子に映りかかる業の色が変化します」という。内と外の淡い連絡に人の心が静かに動く−そんな体験への配慮があるのだろうか。(略)いくら描いても描ききれない。 しばらくのあいだ、静かに座り続けた。 これらは、「生の文化」の極地なのかもしれない。文化の中に「自然」を含み込みながら、あたかも「自然」の中に文化が含まれているような感じにさせられてしまう。そんな風を生み出すまでにするには、「素材の自然なあり方の質」を壊すことなく、どう手を加え、どう生かすかについて、途方もない工夫が凝らされているはずだ。そして、その途方もなさが人の心であることが驚異だ」

「経歴」

呉善花(1956年・韓国生まれ・評論家)

「参考書籍」

日本が嫌いな日本人へ・呉善花(著)




posted by 日本人 at 05:27| 文化・芸術・美意識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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