2012年11月05日

呉善花

「かつて山野に生きた人々は、平地へ下りて生活するようになると、山野を神々や祖先の住まう聖域として崇拝した。それ以来、人々は平地に山野の自然環境(聖地)を人工的に再生し内部化することに、執拗にこだわり続けてきた。そのこだわりが日本の庭の伝統を形づくってきたのだと思う。 もちろん、韓国人にもこだわりはあるし、中国人にもこだわりはあるに違いない。しかし、日本人がこだわるのは「山野の自然にまみれていたころの自分」であり、韓国人がこだわるのは「ようやく山野の自然から離れたころの自分」なのだ。 たぶん中国では、歴史的な高地人と平地人の対立から、山野の自然と平地とは厳然と区別されるべき対立関係を形づくるものであったし、韓国もまたその影響を強く受けて山野の自然を思った。しかし日本では、高地と平地の対立はきわめて穏やかなものとしてあったから、山野の自然からの分離感覚をはっきりと感じ取ってこなかった。そのあたりに、同じ東アジアの国でありながら、日本の庭園が韓国や中国とは異なる、独自の展開をとげた理由があるのではないだろうか」

「経歴」

呉善花(1956年・韓国生まれ・評論家)

「参考書籍」

日本が嫌いな日本人へ・呉善花(著)

「関連書籍」

共生の思想―未来を生きぬくライフスタイル・黒川 紀章(著)


日本文化私観・ブルーノ・タウト(著)





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