2007年01月05日

グロータース

「病院のヨーロッパ人は病人も看護婦も、中国人であるというだけの理由で自分たち二人の医師たちをどんなに軽蔑しているのか、実例をあげていろいろ話してくれた。中国人を馬鹿にした看護婦の言動に対して、私も中国人医師と同じようにひどく憤慨した。そして当時中国に在住していた大勢の外国人の態度について、中国人が実際にどのように考えていたのかをはじめて理解しはじめた。

 こうして私たちの間には友情が育っていった。それまでの私は、宣教師という任務を意識するあまり、人間を宣教の対象としか見ないようなところがあったと反省させられた。李、銭両人との出会いによってようやく人間同士の付き合いが始まり、そこから芽ばえる友情を知ったのであった」


「経歴」

W・A・グロータース(ベルギー・1911年)

「参考書籍」

それでもやっぱり日本人になりたい・ウィレム・A. グロータース(著)

「関連書籍」

「白人(グローバル)スタンダード」という新たなる侵略・清水 馨八郎(著)

人種偏見―太平洋戦争に見る日米摩擦の底流・ジョン・W. ダワー(著)

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2006年05月08日

フォーチュン

「城壁に囲まれた天津の町は、はなはだ貧弱な外観を呈している。東西南北の四ヶ所に門があり、城内は東西の距離が約1マイル4分の1、南北は半マイル足らずである。城壁と砦はおおむね荒廃している。敷石で舗装してある街路もやはり荒れるに任せ、いたる所の舗装が壊れて大きな穴があき、雨が降ると水たまりができる。商店もみすぼらしく、手軽な日用品を置いているに過ぎない。他のシナの町のように、高級官吏は役所のある城内に住んでいる。しかし、天津の活動力と生活はすべて城外にある。

シナの町は、概して清潔ではない。いや、それどころか、不潔と悪臭の点では有名である。(略)ここでは下肥えは、南方のように、はっきりその用途を認めていないので、人々の習慣は極めて不潔である。城砦の上、空地、しかも街路でも所構わずで、その悪臭は堪えがたい。天津の町は広く、商業は繁昌しているし、大資本や上等な店や活動的な貿易商などから見て、市街はまだ至る所破壊されたままだし、道路は通行困難な所が多いという実情について、説明することはむずかしい。この地は最近英仏軍に占領されていたことは事実である。しかし、その荒廃と不潔な状態は、英仏の軍隊が占拠するずっと以前から、続いていたことは、多くの証拠があった。このような状況の原因は、年々住民から取り立てた税金を横領するか、または別の目的に使う習慣をもつ、政府や役人の汚職に由来するだろう」


「経歴」

ロバート・フォーチュン(1812年生まれ・英国)

「参考書籍」

幕末日本探訪記―江戸と北京・ロバート・フォーチュン(著)

「関連書籍」
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2006年05月07日

シュリーマン

「北京はとても大きな街で、城門にたどりつくまでに一時間以上もかかった。街をぐるりと囲む城壁内に七百万人は住めるだろう。だが、実際の人口は百万にも満たないようにみえる。早朝だったので、道を歩いても乞食に悩まされることもなく、思う存分あたりを観察することができた。ときどき、白っぽい花崗岩でつくられた石畳の残骸を見かけた。崩れた石造りの下水渠や欠けた軒蛇腹、破損して泥にほとんど埋もれた塑像などがいたるところにあった。花崗岩の立派な石橋もたくさん目にした。しかし、半ば崩れていたので渡ることができず、迂回しなくてはならなかった。石畳の断片、瓦礫となった下水渠、壊れた軒蛇腹、塑像、石橋・・・・・・北京の街のそれらすべてが、いまや荒廃し堕落した国民を表していた。現在では二階建ての安っぽい家、汚れきって、首都の道路というよりは巨大な下水渠のような通りに、かつては偉大で創意に富んだ人々が住んでいたのだ。舗装され、清潔な見事な道路、大邸宅、壮麗な宮殿があったのだ。もし少しでもお疑いなら、北京の堂々たる城門や城壁を見るがいい。その大きさについては既に述べたとおりである。このような門や壁が今日見られるような街を守るために建造されたとは!まったく考えられないことだ」

「経歴」

ハインリッヒ・シュリーマン(1822年生まれ・ドイツ)

「参考書籍」

シュリーマン旅行記清国・日本・ハインリッヒ・シュリーマン(著)

「関連書籍」
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シュリーマン

「離宮はもう何世紀も修理されていないように見えるし、城壁はいまにも崩れ落ちそうである。 城壁のなかを見ようと、隣の塔へ登った。二階建ての宮殿、それよりやや小さいいくつかの宮殿、寺々、そしてどっしりとあずまやを配した広大な庭園を見ることができた。すべてがまったく顧みられず、いままさに朽ちようとしていた。伸びるがままの草木が、宮殿の青や緑の瓦や寺々、あずまやを埋めつくしている。庭にしつらえられた大理石の橋も、多少とも壊れていないものは一つもない。 それから光の寺(景教寺院)と孔子廟、高さ24メートルの仏像をはじめいくつかの仏像を納めてあるラマの寺を訪ねた。シナの寺院建築はヨーロッパ最高の建築家も一目置くほどのものである。だがいまは、無秩序と頽廃、汚れしかない。仏像の衣も壁に施された素晴らしい刺繍もぼろぼろに剥げ落ち、窓枠は一部が砕け、張りめぐらされた紙は随所で破れている。壁の煉瓦も屋根瓦も、生い茂る植木のためにがたがたになってしまっている。途方もない費用をかけて建設したこの壮大な建築物を、いまや頽廃し堕落した民族が崩壊するにまかせているのを目の当たりにするのは、じつに悲しく、心痛むことだ。もし寺をきちんと保ち、美しい姿を後世に残そうと思ったなら、それぞれの寺に常駐の職人を二人もおけば充分だったろうに。清国の君主たち、また民の愚かさ加減、意気阻喪ぶりは、自分たちの神々の聖堂、栄えある祖先の建てた偉大なる建造物を崩れるがままに放置したさまに、遺憾なく現れている」

「経歴」

ハインリッヒ・シュリーマン(1822年生まれ・ドイツ)

「参考書籍」

シュリーマン旅行記清国・日本・ハインリッヒ・シュリーマン(著)

「関連書籍」
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2006年05月06日

シュリーマン

「首のまわりに1メートル33センチ四方の板を水平につけられた罪人を、至るところでみかける。彼らは手を口に持って行くことができないので、通行人に食物を恵んでくれるよう頼み、さらにはそれを口に入れてくれるように懇願せざるをえない。板に取り付けられた高札には、罪状と処罰期間がしるされている。ほかに重量約10キログラムの鉄塊を頭上に持ち上げるほかない。背中にはその悪行と処罰期間を示す札が付けられている。以上の罪人は刑罰の道具の許すかぎり自由に町中を歩き回ることができる。ただし、一歩町を出ようものなら死刑が待っている。 漢人町の大通りの中央にある刑場を見たことがある。最近切られた男の首のいくつかと数ヶ月前のものらしい首のいくつかが、鉄製の大きな鳥籠に入れられて曝してあった。それぞれの籠に、死刑に値した罪状を知らせる高札が取り付けてある」

「経歴」

ハインリッヒ・シュリーマン(1822年生まれ・ドイツ)

「参考書籍」

シュリーマン旅行記清国・日本・ハインリッヒ・シュリーマン(著)

「関連書籍」
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シュリーマン

「1860年、清国と英仏間に締結された条約の結果、賠償金を支払い終えるまで、清国政府は自国の税務業務に外国人官吏を発用せざるを得なかったが、そうするとほどなく税収が大幅に増え、それまでの自国役人の腐敗堕落が明らかになった。それで清国政府は彼らを罷免し、代わりにシナ語を話せる外国人を雇うようになったのである。 イギリス人レイ氏は、1861年に年棒50万フランで税関の長官に任命された。他の税関吏の給料は1万5千〜7万5千フランである。レイ氏の後任に、昨秋、25歳になるかならずの元イギリス領事ハート氏が据えられた。その若さにもかかわらず、ハート氏は行政の天才で、彼のとった施策のおかげで、税関の所得は、外国人官吏を雇う前の4倍に跳ね上がった」

「経歴」

ハインリッヒ・シュリーマン(1822年生まれ・ドイツ)

「参考書籍」

シュリーマン旅行記清国・日本・ハインリッヒ・シュリーマン(著)

「関連書籍」
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2006年05月04日

シュリーマン

「長城は数世紀来、軽んじられ、打ち捨てられてきた。いまや望楼には守備隊の代わりにおとなしい鳩が巣を作っているし、壁には、無害なとかげが這い、春の到来を告げる黄色や紫の花で埋まっている。長城がかつて人間の手が築きあげたもっとも偉大な創造物だということは異論の余地がない。長城は、それが駆け抜けていく深い谷の底から、また、それが横切っていく雲の只中から、シナ帝国を現在の堕落と衰微にまで貶めた政治腐敗と士気喪失に対して、沈黙のうちに抗議をしているのだ」

「経歴」

ハインリッヒ・シュリーマン(1822年生まれ・ドイツ)

「参考書籍」

シュリーマン旅行記清国・日本・ハインリッヒ・シュリーマン(著)

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シュリーマン

「清国政府は、四億の人民を教化するあらゆる事業を妨げることで、よりよい統治ができると考えているから、蒸気機関を導入すれば、労働階級の生活手段を奪うことになると説明しては、改革に対する人々の憎悪を助長している。しかし、極端な困窮にあえいでいるから、早晩、自国の豊かな炭鉱に目を開き、蒸気機関を使ってそれらを採掘せざるを得なくなるであろう」

「経歴」

ハインリッヒ・シュリーマン(1822年生まれ・ドイツ)

「参考書籍」

シュリーマン旅行記清国・日本・ハインリッヒ・シュリーマン(著)

「関連書籍」
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2006年04月24日

シュネー

「省境を越え、安徽省に入ると、やがて寸土も余さず、くまなく耕された沃土が展開した。右側に海のように大きな湖が現れた。聞くところによると、湖中には多くの島があり、そこに何世代にもわたって盗賊が住みついていた。そして盗賊は夜中、公道をうろついて追い剥ぎをするばかりか、ときには人家を襲うため官憲も持て余しているとのことであった」

「経歴」

ハインリッヒ・シュネー(1871年生まれ・ドイツ)

「参考書籍」

「満州国」見聞記―リットン調査団同行記・ハインリッヒ シュネー(著)

「関連書籍」
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シュネー

「漢口から北京に至る鉄道京漢線上の停車場は何度も繰り返し共産軍や流賊に襲撃され略奪にあった。列車もときには停止を命ぜられ、乗客は金品を奪われた。ごく最近の列車襲撃事件は、われわれが漢口に着く二週間前に起こった。国民政府軍は京漢線沿線を警備していたけれども、共産軍が勇猛なだけに完全に防衛することはできるわざではなかった」

「経歴」

ハインリッヒ・シュネー(1871年生まれ・ドイツ)

「参考書籍」

「満州国」見聞記―リットン調査団同行記・ハインリッヒ シュネー(著)

「関連書籍」
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シュネー

「漢口西方のやはり遠くない所に共産軍が陣取っていた。長江両岸にも共産軍と流賊がいたが、両者を区別することは容易ではなかったらしい。 漢口と上流の宜昌の間では、長江を航行する船が両岸から射撃された。われわれが漢口に滞在した数ヵ月後、汽船すら共産軍あるいは流賊から攻撃された」

「経歴」

ハインリッヒ・シュネー(1871年生まれ・ドイツ)

「参考書籍」

「満州国」見聞記―リットン調査団同行記・ハインリッヒ シュネー(著)

「関連書籍」
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