2006年09月01日

ぺリン

「日本人の文芸に対する関心はこの出来事(北条範貞による二条中将為明卿釈放)から鉄砲伝来にいたる問いにいっそう高まった。実際、十六世紀後期に日本に滞在していた別の宣教師オルガンティノ・グネッチは、宗教を措けば日本の文化水準は全体として故国イタリアの文化より高い、と思ったほどである。当時のイタリアは、もちろん、ルネッサンスの絶頂期にあった。前フィリピン総督のスペイン人ドン・ロドリゴ・ビベロが一六一〇年、上総に漂着した際にも、ビベロの日本についての印象は、グネッチの場合と同様の結論であった。スペイン人が、他国たとえばペルーへ行ったとき、ペルーについてそのような感懐をいだくわけではないのである」

「経歴」

ノエル・ぺリン(アメリカ・1927年〜)

「参考書籍」

鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮・ノエル ペリン(著)

「関連書籍」





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2006年08月25日

ロジャーズ

「これらの住民は火器の使用についてはほとんど知らないように見受けられました。住民のなかでも特に有識者とおぼしき人物が鉄砲について仲間に知識のあるところを披露したのですが、それを聞いていた部下の一士官が鉄砲を意味する日本語を聞きとりました。アメリカ人にとっては子供の時分から銃をとるのを見慣れているだけに、まったく驚くほかなかったのは、武器についての住民の無知ぶりが例のないものであったことです。それは未開人特有の天真爛漫さと理想郷に住む人々の無邪気ぶりとを示すものでした。わたしどもはこれを乱したくないと考えました」

「経歴」

ジェン・ロジャーズ(アメリカ)

「参考書籍」

鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮・ノエル ペリン(著)

「関連書籍」
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2006年08月15日

シロニー

「日本人にとっての学習はユダヤ人の場合のような宗教上の務めとはならなかったが、その地位は非常に高かった。武士の行いについて定めた一六一五年の武家諸法度で徳川家康は、学問研究(文)と武術の鍛錬(武)とを武士の最重要義務とし、しかも文を武の上においた。徳川の歴代将軍や大名の大半が、儒者と呼ばれる顧問をおき、古典教育を監督させるとともに、公式の通信や発行物の処理に当たらせた。徳川時代の日本では、多種多様な学校が花盛りだった。武家の男児はほぼ全員が幕府ないし藩が運営する学校に入って中国の古典を学び、庶民も、男児の約半数が寺の経営する学校(寺子屋)に通って読み書きを学んだ。これ以外にも多くの私塾があり、古典から蘭学まで、さまざまな分野の知識を得ることができた」

「経歴」

ベン=アミー・シロニー(1937年・ポーランド)

「参考書籍」

ユダヤ人と日本人の不思議な関係・ベン=アミー・シロニー(著)

「関連書籍」

近世武家社会と諸法度・進士 慶幹(著)

日本人をつくった教育―寺子屋・私塾・藩校・沖田 行司(著)
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2006年05月12日

フォーチュン

「実際日本には乞食がおびただしくいて、うるさくせびるのである。私がそこを通った時にも、道端に多勢の乞食がすわっていた。彼らは身体の不自由な者や盲人で、私が通ると地面にひれ伏して物乞いをした」

「経歴」

ロバート・フォーチュン(1812年生まれ・英国)

「参考書籍」

幕末日本探訪記―江戸と北京・ロバート・フォーチュン(著)

「関連書籍」
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2006年05月04日

シュリーマン

「「なんと清らかな素朴さだろう!」初めて公衆浴場の前を通り、三、四十人の全裸の男女を目にしたとき、私はこう叫んだものである。私の時計の鎖についている大きな、奇妙な形の紅珊瑚の飾りを見ようと、彼らが浴場を飛び出してきた。誰にとやかく言われる心配もせず、しかもどんな礼儀作法にもふれることなく、彼らは衣服を身につけていないことに何の羞じらいも感じていない。その清らかな素朴さよ!

オールコック卿の言うとおり、日本人は礼儀に関してヨーロッパ的観念をもっていないが、かといって、それがヨーロッパにおけると同様の結果を引き起こすとは考えられない。なぜなら、人間というものは、自国の習慣に従って生きているかぎり、間違った行為をしているとは感じないものだからだ。そこでは淫らな意識が生まれようがない。父母、夫婦、兄妹-すべてのものが男女混浴を容認しており、幼いころからこうした浴場に通うことが習慣になっている人々にとって、男女混浴は恥ずかしいことでも、いけないことでもないのである。

いったいに、ある民族の道徳性を他の民族のそれに比べてうんぬんすることはきわめて難しい。たとえば男性の気を惹くのに、シナの女性は化粧して、纏足した小さな足にじゃれた靴を履くが、首は顎まで覆っている。アラブの女性たちは顔をベールで覆い、裸の胸を隠さず、素足に赤い幅広の靴を履く。どちら国の女たちも、もしヨーロッパの女性たちの服装を見たり、彼女たちが男性と踊るところを目にすれば、きっと、およそ慎ましさの規則から大きく外れていると思うだろう。

国家の安泰のためには、女性の身持ちがかたいことが肝要である。こうした男性の勝手な言い分には、女性の側からは異論もあろうが、世界史を見渡してみても、女性が男性と共謀して暴力沙汰や政治的混乱を引き起こしたという事例はない。この点について、日本の権力者たちは、長い経験と人間性についての洞察によって、ある完全な答えを得ていたにちがいない。彼らは、公衆浴場で民衆が自由にしゃべりたいことをしゃべっても、国家安泰にはいっこうに差し支えがないと、判断したのである」


「経歴」

ハインリッヒ・シュリーマン(1822年生まれ・ドイツ)

「参考書籍」

シュリーマン旅行記清国・日本・ハインリッヒ・シュリーマン(著)

「関連書籍」

なかよくたのしくこんよくおんせん―混浴温泉 全国版

混浴美女秘湯めぐり
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