2006年09月09日

ぺリン

「当時の日本人は、戦国の世と呼ばれようが、ほかに何と名づけられようと、ともかく躍動感にあふれていた。まず、十六世紀の日本の人口二千五百万は、その当時のヨーロッパのどの国の人口よりも多い。フランスの人口は千六百万、スペインの人口は七百万、イギリスの人口は四百五十万であり、今日のアメリカ合衆国の地には人口しかいなかった。日本は農業も発達していた。建築もしかりである。一五六九年のこと、イエズス会士ルイス・フロイスは、織田信長が岐阜に新たに建てた城を見て、目を見張った。(略)
 
 フロイスは上司宛に次のように書いている。「私はみずからがすぐれた建築家であればと思います。そうでなくともせめてここで見た一つ一つをうまく描写できるだけの才能に恵まれていればと思います。と申しますのも、これまでポルトガル、インド、日本でみてまいりました宮殿、家屋敷の中で、これに比肩しうる斬新さ、優美さ、豪華さ、清らかさをもつ建築をかつて見たことがないということを特に強調したいからです」

 教育について言えば、仏教僧は「大学」を五つももっていた。もっとも小規模の大学でも、当時のオクスフォード大学やケンブリッジ大学を凌いでいたのである。精確な統計はないが、一五四三年当時の日本人の識字率は、ヨーロッパのいかなる国よりも高かった、と信じるにたる十分な理由がある」


「経歴」

ノエル・ぺリン(アメリカ・1927年〜)

「参考書籍」

鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮・ノエル ペリン(著)

「関連書籍」

完訳フロイス日本史〈1〉将軍義輝の最期および自由都市堺―織田信長篇(1)・ルイス フロイス(著)

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posted by 日本人 at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会(〜戦国) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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